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英国貴族の爵位とは?准貴族やジェントルマンなどわかりやすく解説

英国貴族のエムブレム 名前
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英国は階級社会といわれていますが、上流階級の存在は現在まで続いています。

その上流階級に位置するのが貴族といわれる人々です。

英国貴族は広大な領地から得られる収入により生活し、政治や司法、軍の上層部、植民地の運営など国の重要な地位を占めてきました。

この記事では英国(イングランド)貴族の爵位の種類と成り立と、そして准貴族やジェントルマンが生まれた背景などについて解説していきます。

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英国貴族の五つの爵位と敬称(呼び方)

英国貴族の公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵という五つの爵位と敬称について、序列上位から順に説明していきます。

公爵(Duke)

「公爵」は五つの爵位のうち最高位の爵位であり、英語ではDuke(デューク)、そして公爵夫人はDuchess(ダッチェス)といいます。

上流階級どうしでは、公爵は「デューク」、公爵夫人は「ダッチェス」と爵位で呼ばれます

また公爵の長男は、「ロード(Lord)・地名または姓」、次男以下は、「ロード・名・姓」、娘は「レディ・名・姓」で呼ばれます。

たとえばサマセット公爵の長男は「ロード・サマセット(地名)」と呼ばれます。

下の階級からの呼称は、公爵と公爵夫人ともに「ユア・グレース(Your Grace)」、息子は「マイ・ロード(My Lord)」、娘は「マイ・レディ(My Lady)」となります。

このように公爵の爵位を有する貴族であれば、その息子、娘も上記の敬称で呼ばれます。

※Graceは「閣下」、Lordは「中世の封建領主」の意であり、Ladyは「女性貴族」の敬称です。

侯爵(Marquss)

「侯爵」は序列第2位の爵位で、英語ではMarquss(マーキス)、侯爵夫人はMarchioness(マーショネス)といいます。

上流階級どうしでは、侯爵とその長男は「ロード・地名または姓」、次男以下は、「ロード・名・姓」、侯爵夫人は「レディ・地名または姓」、娘は「レディ・名・姓」で呼ばれます。

ウインチェスター侯爵と長男であれば、「ロード・ウインチェスター」、侯爵夫人は「レディ・ウインチェスター」と呼ばれます。

また下の階級からは、侯爵と息子は「マイ・ロード」、侯爵夫人と娘は「マイ・レディ」と呼ばれます。

このように侯爵の爵位を有する貴族は、その息子、娘も上記の敬称で呼ばれます。

伯爵(Earl)

「伯爵」は序列第3位の爵位で、英語では、主に英国ではEarl(アール)、伯爵夫人はCountess(カウンテス)といいます。

また英国以外の国では、伯爵のことはCount(カウント)といいます。

侯爵と同じく上流階級どうしでは、伯爵とその長男は「ロード・地名または姓」、伯爵夫人は「レディ・地名または姓」、娘は「レディ・名・姓」で呼ばれます。

また下の階級からは、伯爵と長男は「マイ・ロード」、伯爵夫人と娘は「マイ・レディ」と呼ばれます。

このように伯爵の爵位を有する貴族は、その長男や娘も上記の敬称で呼ばれます。

子爵(Viscount)

「子爵」は序列第4位の爵位で、英語ではViscount(ヴィカウント)、子爵夫人はViscountess(ヴィカウンテス)といいます。

侯爵、伯爵と同じく上流階級どうしでは、子爵は「ロード・地名または姓」、子爵夫人は「レディ・地名または姓」、息子は「ミスター・名・姓」、娘は「ミス・名・姓」で呼ばれます。

また下の階級からは、子爵は「マイ・ロード」、子爵夫人は「マイ・レディ」、息子は「サー(Sir)」、娘は「ミス」と呼ばれます。

※Sirは貴族に対する敬称です。

男爵(Baron)

「男爵」は序列第5位の爵位で、英語ではBaron(バロン)、男爵夫人または女性男爵はBaroness(バロネス)といいます。

侯爵、伯爵、子爵と同じく上流階級どうしでは、男爵は「ロード・地名または姓」、男爵夫人は「レディ・地名または姓」、息子は「ミスター・名・姓」、娘は「ミス・名・姓」で呼ばれます。

また下の階級からは、男爵は「マイ・ロード」、男爵夫人は「マイ・レディ」、息子は「サー」、娘は「ミス」と呼ばれます。

男爵の爵位には、世襲ができるものと一代限りの2つの種類がありますが、現在新たに授与される爵位はすべて一代貴族となっています。

この一代貴族は政治や官職、軍職などで功績をあげた人物に引退後に与えられることが多く、”鉄の女”と言われた英国の元首相サッチャーは、一代貴族でBaroness Thatcherと呼ばれました。

英国准貴族の爵位とジェントルマン

次に英国(イングランド)准貴族の爵位とジェントルマンについて説明していきます。

准男爵(Baronet)

「准男爵」は17世紀に創設された爵位で、当時のイングランド国王が財政難を補うためにお金と引き替えに認めたものです。

准貴族としての位置付けのため貴族院の議席を持つことはできませんが、子孫に継承することができます

英語ではBaronet(バロネット)、准男爵夫人はBaronetess(バロネッテス)といいます。

敬称は爵位貴族とは区別されるため、貴族に対する「ロード」ではなく「サー」となります。

上流階級どうしでは、准男爵は「サー(Sir)+名+姓」、准男爵夫人は「レディまたはデイム(Dame)+姓」で呼ばれます。

たとえばトマス・ウィリアムズ であれば「サー・トマス・ウィリアムズ」、夫人は「レディまたはデイム・ウィリアムズ」となります。

また下の階級からはそれぞれ「サー・名」、「マイ・レディ」と呼ばれます。

ちなみに「Sir」とは、準男爵(Baronet)・ナイト爵(Knight)の敬称であり「卿」(=相手を尊んでよぶよび名、位の高い人)と訳されます。

また「Dame」とは、準男爵(Baronet)・ナイト爵(Knight)の爵位を持つ男性の夫人および娘に対する敬称です。

騎士(Knight)と大英勲章

「騎士」は一代限りの爵位で、英語ではKnight(ナイト)といいます。

准男爵と同じく上流階級どうしでは、騎士は「サー・名・姓」、騎士夫人は「レディまたはデイム・姓」、下の階級からはそれぞれ「サー・名」、「マイ・レディ」と呼ばれます。

また従来の貴族の爵位とは異なりますが、1917年にイギリス国王ジョージ5世が創設した騎士団勲章により、英国王室は慈善活動や文化活動、スポーツなどで英国に貢献した人物に毎年大英勲章を授与しています。

その勲章の最上位にあたる大十字騎士(GBE)と、これに次ぐ司令官騎士 (KBE/DBE)の2つの勲章の受勲者である「ナイト爵」は、英国籍であれば男性はサー(Sir)、女性はデイム(Dame)の敬称の使用が許されています。(デイム は、ナイト に相当する叙勲を受けた女性の敬称)

ナイトやデイムの称号を授与された著名人

「ナイト」の称号を授与された著名人の例としては、第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンは、1989年にエリザベス女王から大英帝国勲章ナイト・グランド・クロス(大十字騎士)を授与されました。

音楽界では、1997年にポール・マッカートニー、1998年にエルトン・ジョン、2003年にミック・ジャガー、2016年にロッド・スチュワート、2018年にリンゴ・スターなどの音楽家がナイトの称号を授与されました。

エンターテインメント業界では、2001年に映画監督のスティーヴン・スピルバーグが、ナイトコマンダー(司令官騎士)を授与されました。

デイムの称号を授与された著名人の例としては、映画界では2000年にエリザベス・テイラージュリー・アンドリュースがデイムコマンダー(司令官騎士)を授与されました。

またアンジェリーナ・ジョリーは性暴力や難民に対する活動が評価され、2014年にデイムの称号を授与されました。

ジェントリ(Gentry)

「ジェントリ」とは英語でGentryといい、ジェントルマンという紳士階級のうち大地主を表す言葉です。

ジェントリが生まれたのは、16世紀中ごろフランスとの戦争で財政難に陥ったイングランド国王ヘンリー八世による「修道院解散」が背景にあります。

そして国王が修道院から没収した土地を売りに出したことがジェントリ発祥のきっかけとなりました。

また、当時は国を統治する高級官僚や軍の指揮官の任命は貴族に限定されていましたが、貴族のみでは少なすぎてそれらすべてを貴族で占めることができませんでした

その不足を補ったのがジェントリやその他のジェントルマンといわれる人々です。

新たに土地を得た新興ジェントリは、大地主として経済的基盤を築き貴族とともにイングランド社会の支配階級となりました。

具体的には、土地所有者に許されていた参政権により国政に関わり、地方では「治安判事」として社会を支配しました。

また大地主として莫大な富を保証されるジェントリには、支配階級としてしかるべき教養や生活態度なども求められました。

ジェントリ以外のジェントルマン(Gentleman)

時代とともにジェントルマンの範囲も拡大されるようになりました。

地主以外にも法律家や聖職者など「専門職」といわれる人々が、しだいにジェントルマンとして加えられていきました。

このジェントルマンの範囲の拡大は、紳士階級への上昇の期待を抱かせることになり、身分制社会の延命につながりました。

ジョン・ブル

「ジョン・ブル」はイギリス人のシンボルですが、その起源は1712年のアーバスノットの小説「ジョン・ブル物語」です。

そのイメージは、フランス革命やナポレオンとの戦争時に風刺画で頻繁に使用され、次第に定着していきました。

当初の素朴で庶民的な雰囲気は、19世紀後半には次第に地主然とした風貌に変化し、保守的な雰囲気を強く漂わせるようになりました。

英国貴族の成り立ちと継承制度、社会的責任

貴族の成り立ち

英国(イングランド)貴族の爵位は11世紀のノルマン王朝時代に、国王から土地を与えられた地方の有力者たちが、王の開催する会議に参加したことに始まります。

つまり貴族の成り立ちは、国王から爵位と領地を与えられるかわりに軍事面で国王に仕えるという封建制がもとになっているのです。

そのため貴族は、苗字の代わりに国王から与えられた領地の名前を名乗るようになりました。

十二世紀頃、王の開催する会議は「議会」として形を整え、世襲制の「貴族院」が設けられました。

当初は伯爵と男爵だけだった爵位は、15世紀に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵という五つの爵位として固まりました。

爵位の継承制度

貴族の当主が亡くなった場合の爵位の継承は、ほぼ男性のみに認められており長男から順に男系の親族をたどり、特別な場合を除いて女性が継承することはできません。

また厳格な取り決めにより、土地・邸宅などの継承財産を売ることなども制限されています。

これらの取り決めは、貴族の名誉を象徴する爵位と収入の源である土地・邸宅の散逸による衰退を防ぐためのシステムといえます。

ノブレス・オブリージュ

貴族は身分も高く特権を持っていますが、その分、欧米社会において社会に対する責任と義務を負うという考え方があります。

これは、いわゆる「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」”高貴な者の義務”というフランスの言葉で、”貴族は身分にふさわしい振る舞いをしなければならない”という考え方です。

たとえば男性貴族は、戦争が起きたときは士官として率先して戦地に赴いたり、庶民の手本となるよう教会に多額の寄付などしていました。

貴族の夫人であれば、貧しい領民や老人、子ども、病人などの弱者に対する援助など慈善活動を行っていました。

(参考)世襲により自動的に貴族院の議席を得られるという貴族の特権は、1999年「貴族院法」の施行により大幅に削減され、付与される議席は92名の貴族のみとなりました。

英国貴族の種類と序列

 

英国貴族と一言でいいますがその中身は、イングランド貴族、スコットランド貴族、アイルランド貴族、グレートブリテン貴族、連合王国貴族として区別されています。

イングランド貴族(Peerage of England)

「イングランド貴族」とは、1707年の合同法以前にイングランド王国で創設された全ての貴族の総称であり、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵からなります。

爵位が同じ場合、イングランド貴族は、スコットランド貴族、グレートブリテン貴族、アイルランド貴族、連合王国貴族よりも上位とされています。

イングランド貴族の爵位は男系男子にしか継承できませんが、初期のイングランド貴族爵位では女系子孫も継承できる場合があります。

すべてのイングランド貴族は貴族院に議席を持っていましたが、1999年の貴族院法により世襲貴族の議席は92議席に大幅に削減されました。

スコットランド貴族(Peerage of Scotland)

「スコットランド貴族」とは、1707年の合同法以前にスコットランド王国で創設された貴族の総称であり、公爵、侯爵、伯爵、子爵、ロード・オブ・パーラメントからなります。

スコットランドでは、男爵は「ロード・オブ・パーラメント」の下位になり、売買もできるため貴族の爵位とは考えられていません。

またスコットランド貴族の爵位は、多くの場合、爵位保持者の娘が継承する場合に限り女系による継承が可能です。

すべてのスコットランド貴族は、1963年の貴族法により貴族院に議席を持てるようになりましたが、1999年の貴族院法によってその権利を失いました。

アイルランド貴族( Peerage of Ireland)

「アイルランド貴族」とは、アイルランド王としてのイギリス君主によって爵位を授けられた貴族の総称であり、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵からなります。

アイルランド貴族の創設は、グレートブリテン及びアイルランド連合王国の成立に伴い、19世紀末で終わりました。

グレートブリテン貴族(Peerage of Great Britain)

「グレートブリテン貴族」とは、1707年の合同法成立後から1800年の合同法成立までの間に爵位を授けられたグレートブリテン王国の貴族の総称であり、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵からなります。

これまでのイングランド貴族とスコットランド貴族に替わって、1801年の「連合王国貴族」新設まで続きました。

すべてのグレートブリテン貴族は貴族院に議席を持っていましたが、1999年の貴族院法成立により議席を持つことができなくなりました。

連合王国貴族(Peerage of the United Kingdom)

「連合王国貴族」とは、1801年の合同法により「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」が成立後に爵位を授けられた貴族の総称で、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵からなります。

すべての爵位が世襲できますが、1958年の「一代貴族法」により男爵に限り世襲できるものと一代限りのものがあります。

連合王国貴族の爵位創設は1984年のストックトン伯爵の授爵以降は途絶えています。

1999年の貴族院法の成立により、連合王国貴族を含めた世襲貴族の議席は92議席に限定されました。

現在に名を遺す英国貴族たち

次に、現在の私たちの生活の中に溶け込んでいる英国貴族を紹介します。

第4代サンドウィッチ伯爵

サンドウィッチ伯爵(Earl of Sandwich)の爵位は1660年イングランド貴族として創設され、1660年にサー・エドワード・モンタギューが授爵されたのに始まり、現在第11代サンドウィッチ伯まで世襲されています。

第4代サンドウィッチ伯爵は、10歳で祖父の第3代サンドウィッチ伯エドワード・モンタギューの死去により爵位を継ぎました。

ちなみに「サンドウィッチ」はケント州サンドウィッチに由来しています。

今日、「サンドウィッチ」はピクニックなどで手軽な食事として広く普及していますが、この「サンドウィッチ」の語源になったのが第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューです。

彼は世襲の貴族院議員であり3度の海軍大臣を務めましたが、大のギャンブル好きでギャンブルを中断せずに食べられる食事としてサンドウィッチを考案した人物とされています。

また彼は探検航海家のジェームズ・クックの支援者であったため、ハワイ諸島の旧名「サンドウィッチ諸島」や南大西洋の「サウスサンドウィッチ諸島」はサンドウィッチ伯爵にちなんで名付けられました。

第12代ダービー伯爵

ダービー伯爵( Earl of Derby)の爵位は、1485年イングランド貴族として3度目の創設によって、トマス・スタンリーに叙位され、現在までスタンリー家により保持されています。

第12代ダービー伯爵は、1776年に祖父である第11代ダービー伯エドワード・スタンリーの死去によりダービー伯爵の爵位を継ぎました。

ちなみに「ダービー」はイングランド中部ダービーシャーに由来しています。

今日、3歳牡馬によるGⅠ競馬「ダービー」が世界各地で行われていますが、1780年この競馬を創設したのが第12代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーです。

そのため、この競馬レースはダービー伯爵の名前にちなんで「ダービー」と名付けられました。

日本では毎年5月に、3歳牡馬のGⅠレース「日本ダービー」が盛大に行われています。

1969年には第18代ダービー伯爵の来日を記念して、GⅢレース「ダービー卿チャレンジトロフィー」も創設されました。

2005年と2006年のジャパンカップには、第19代ダービー伯爵が所有馬と共に来日しました。

今日では「ダービー」という言葉はプロ野球の「ホームランダービー」、「クイズダービー」など、競馬以外でも競争の意味で広く使われるようになりました。

第2代グレイ伯爵(チャールズ・グレイ)

グレイ伯爵の爵位は1806年連合王国貴族として創設され、初代チャールズ・グレイが授爵されたことに始まり現在第7代グレイ伯まで世襲されています。

第2代グレイ伯爵は、1807年父チャールズ・グレイの死去により伯爵の爵位を継承しました。

1786年に庶民院議員に当選。父の死去により貴族院議員となり、1830年~1834年イギリスの首相を務めました。

有名な「アール・グレイ」という紅茶は、ベルガモットで柑橘系の香りを付けたフレーバーティーですが、これを考案したのが第2代グレイ伯爵(Charles Grey,2nd Earl Grey)であると言われています。

そのため、この紅茶には第2代グレイ伯爵の名前にちなんで「アール・グレイ」という名前が付けられたようです。

ただ、オックスフォード英語辞典によると「アール・グレイ」の名はグレイ伯爵とは直接の関係がなく、当時流行していた「Grey」という紅茶に爵位「Earl」を付け加えた可能性があるとされています。

ヨーロッパ各国の貴族の呼称

英国以外のヨーロッパの国では、姓の前に「von、de、da、don」などの言葉を付けて貴族であることを表す場合があります。

これら言葉は帰属や出所を意味する前置詞で、英語では「of」(~の)に当たります。

具体的には、「ファーストネーム・ミドルネーム」+「de などの貴族の称号」+「姓、家門名、その人の特徴など」という形で表します。

これらの前置詞は「敬称」として用いているため、相手を呼ぶときには姓とセットで呼んでいます。

ただ、これらの言葉が姓の前に付いていれば必ず貴族であるというわけではありません

というのも古くから騎士以上の位では、姓の前に「de」や「von」などの貴族の称号をつけており、かつて貴族だった人がそののまま姓として用いている場合もあるからです。

以下に、各国の具体例を示します。

フランス:de(ドゥ)

フランス系貴族を表す「de」が用いられた例としては、ブルボン朝時代の宮廷貴族であるアルマニャック伯ルイ・ド・ロレーヌ(Louis de Lorraine, comte d’Armagnac)があげられます。

また第18代フランス大統領シャルル・ド・ゴール(Charles André Joseph Marie de Gaulle)も貴族として姓の前に「de」を用いています。

住んでいた地名が姓(de+〇〇)として使われるようになった例としては、

15世紀のフランスの国民的ヒロインで、カトリック教会における聖人でもあるジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)がありますが、これは「アルク村のジャンヌ」という意味です。

ドイツ:von,zu(フォン、ツー)

「von」はドイツ系ゲルマン貴族の古い家系に多くみられます。

ドイツ貴族の例としては、ドイツを代表する文豪であり、小説「若きウェルテルの悩み」で有名なヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)があげられますが、ゲーテは、1782年神聖ローマ帝国皇帝により男爵の位を授けられました。

またオーストリア=ハンガリー帝国出身でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者を務めたヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)は、1908年にザルツブルク州のザルツブルクで騎士 の子として生まれ、枢密顧問官の称号を買い取りました。

鎖国時代の日本で長崎出島のオランダ商館医を務めたドイツ人医師であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト( Philipp Franz Balthasar von Siebold)があげられますが、1816年シーボルト家はバイエルン王国の貴族階級に登録されました。

また「zu」は主に新興貴族が出身地や領地を示すために用いられています。

オランダ:van(ファン)

「van」はオランダ系貴族を表す言葉ですが、これは特別な称号ではなく一般的な姓の形式で、平民でも名乗ることも多いようです。

貴族の例としては、ヤコブ・ファン・エイク(Jacob van Eyck)は17世紀のオランダ貴族であり、最も有名な音楽家でした。

大胆な色使いで知られるポスト印象派を代表する画家のフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)は、1853年、オランダ南部のズンデルトで牧師の家に生まれました。

イタリア:de,da(ディ、ダ)

「di、da」はイタリア系貴族であることや出身地を表す言葉として使われます。

例としては、イタリア最後の国王となったウンベルト2世の長男で、現サヴォイア家当主ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア( Vittorio Emanuele di Savoia)があげられます。

またフランチェスカ・ダ・リミニ(Francesca da Rimini)は、13世紀のラヴェンナ領主グイド・ダ・ポレンタの娘でダンテの同時代人であり、ダンテは『神曲』地獄篇に彼女を登場させました。

なおイタリアでは、1946年の共和制移行により王位を含めすべての貴族称号は承認されていません

出身を表す例としては、アメリカの俳優であるレオナルド・デカプリオ(Leonardo Wilhelm DiCaprio)は、父がイタリア系であり姓のディカプリオは、「カプリ島の」という意味になります。

また、中世ルネッサンス期の天才芸術家であるレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の名前は、フィレンツェ郊外の「ヴィンチ村の出身」であることを表しています。

スペイン:de (デ)

「de」はスペイン系貴族であることや出身地を表す言葉として使われます。

例として、ドン・フアン・デ・アウストリア(Don Juan de Austria)があげられます。

彼は16世紀の軍人で、神聖ローマ皇帝カール5世(兼スペイン王カルロス1世)の婚外子として生まれました。

なおdon「ドン」はスペイン語で男性への敬称、dona「ドナ」は女性への敬称です。

まとめ

当初は貴族の爵位についてだけを書こうと思っていましたが、調べていくうちに爵位に関連して書かなければいけない内容がどんどんと増えてしまいました。

そのため爵位に限らず、英国貴族について全般的にご理解いただけたかなと思っています。

英国貴族には様々な特権がありますが、同時に”貴族は身分にふさわしい振る舞いをしなければならない”という「ノブレス・オブリージュ」の考え方に、自分自身を省みる機会にもなりました。

ここまで読んでいただいた方に、この記事が少しでも参考になれば幸いです。

参考文献:ふくろうの本「図説 | イギリスの歴史」、「図説 | 英国貴族の令嬢」、ウィキペディアほか

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